ehnmsのブログ

ボケ防止

ブールパンとはなんですか

パンのようにフワフワした記事です。

 

セブンイレブンに売っているUFOみたいな形をしたパンがあるんですけど。

7premium.jp

 

この人商品名が、「ホイップクリームが入ったブールパン」なんです。ブールパンって何だろう、と思って検索するとフランス語のBouleが語源らしいんです。

www.bread.jp.net

 

ブールはバゲットに近いものらしく、フランスパン的な鈍器的側面があるようなんですが、セブンのブールパンにはそのような要素はないです。いわゆる菓子パンの生地という感じ。じゃあここで言っているブールとセブンのブールパンは別物なのかな。

 

フランス語のBouleは、日本語で言うと「球」になるらしく、もしかすると単にパンが半休型だからブールパンっていう名前なだけかもしれないなぁ。と思っていたところ、サジェストに「帽子パン」という単語をみつけました。

 

そこから調べてみると帽子パンと似たものとして「スイートブール」というものがあるようで、どうやらブールパンとはこいつのことを指しているみたいです。ブールパンとやらはもう少しつばが広いけど、確かに写真にあるようなスイートブールに近い形をしています。これはアレンジの範疇に違いない。

www.cotta.jp

 

スイートブール = Sweet Bouleで半分英語、半分フランス語だと思うのですが、これはどこ発祥なんだろう。Sweet Bouleという単語で検索すると、ほぼ日本語のサイトで、一部フランスやイギリスのサイトが見え隠れするレベル。

英語のサイトも実際に引っかかっているのは大体 "sweet boule de neige" (甘いスノーボールクッキー)であって、 "sweet boule" 自体が引っかかっている感じはあまりない。一部本当に「甘いブール」という意味合いで使っているサイトはあるけど、そもそもヒット数が少ないのでやっぱりメジャーな単語ではなさそう。そうすると和製英語なのかな。

 

帽子パンの方から調べてみると、帽子パンは高知発祥のパンらしい。帽子パンとスイートブールはちょっとだけ生地の使い方が違っているけど、大筋似通っているし、見た目もほぼ一緒なので帽子パンの派生なのかな。それか商標とかの問題で違う名前になっているのかも。

kuraneo.jp

 

ついでに商標を検索してみたら、「帽子パン」自体はないけどそれっぽい商標が2019年に出されて、2020年6月16日に拒絶されている。

https://www.j-platpat.inpit.go.jp/c1800/TR/JP-2019-025540/174FE3F7CA09308BA51179AEF9B2D2B4436C3C58AAD8108191FFBF3DED1E5789/40/ja

拒絶査定の報告書には、高知発祥として既に帽子パンの製造がおこなわれてきている実績があることが示されている。そう考えるとパン製造の人たちが、自主規制的に名前を変えて作ったのがスイートブール、あるいはブールパンなのかもしれない。

起業のおはなし

これは私の友人の話なのですが....

 

今やってる仕事が面白くない。面白くない原因はなんでしょう?

それは自分でコントロールできないこと。トップダウンで降りてきて少し具体化された目標があり、そのうえで自分の業務で可能な範囲のコントロールをすることはもちろんできるんだけれども、それは途轍もなく小さい範囲に収まってしまう。

それなら起業したらどうか、と考えた。自分ですべてをコントロールすることができる立場に立つために、仕事において自由でありたいがためにそこを目指してみようかな、と。企業したらしたで、関係会社との調整や資金繰りその他もろもろの庶務などで忙殺されてしまう可能性もあるが、自分で始めたという当初の思いや自分が選択して動かせることなど、非常に高い自由度とやりがいを得ることができるんじゃないかと思ったりした。

要するに、好きなことで生きていく、をやるために起業したいなぁって思ったりしたんですよね。そのためにちょっとしたWebサービスをいくつか作ってみたりしたけど、鳴かず飛ばず。そしてここがダメなんだけど、失敗した例を分析して自分の知識として活用できるようにしてこなかった。

もしかすると市場調査時点で外してるかもしれないし、機能設計時点でのユースケースが全くの的外れかもしれないし、プロダクトの品質が非常に低いのかもしれないし、マーケティングやプロモーションが原因なのかもしれない。そのあたりを明確にすることができてない。トライアンドエラーする気なら、失敗から学ぶって言うのが一番大事なんだけど、それが出来てないんですよ。やる気あるのか?

そもそも、技術の伴わない起業というのが難易度が高いのではないかという気持ちもある。技術を伴わないということは、コア技術がないことを言っています。つまり、完全にアイデア勝負でサービスを開発していくということ。これがなかなかリスクが高い。でも、大学発ベンチャーとか企業からのスピンオフならまだしも、個人でコア技術なんて持ってる人はいないと思うので、ここにケチ付けるのは単なる逃げのような気もする。 

 世の中には、仕事の片手間に(という表現は齟齬がありそうだけど)サービスやゲームを作って、売り上げを上げている人もいる。彼らとの違いはなんだろう。熱意なのかな?それとも仕事としてそれを成すためのプロセスに問題がある?そもそも彼らはどこからアイデアを出して作っているんだろう?そもそも、アイデアがないのに無理やり何かを作ろうというのが間違いなんだろうか?うまく行っている人にインタビューとかした方がいいのかなぁ。

 

こんな文章を書くような人間は、あまり考えこまず、企業での仕事をこなして、自分の人生を謳歌した方が幸せなんでしょうね。

 

以上友人の話でした。

自分自身の外側の自分

多分誰も共感してくれなさそうなんですが。

 

集中力がない時、ありますよね。

例えば、本を読んでいる時に夕飯のことを考えていたり、映画を見ているのに明日の仕事のことを心配していたりすることがあります。いわゆる心ここにあらず的な状態の時もあるし、飽きてしまって取りあえずポーズだけ取ってるみたいな時もある。これが生じると、当然読み終わった後や見終わった後に感想を聞かれても「面白かった」以上に気の利いた単語も出てこない。これってただ単に時間を浪費しているだけで、なんにもなっていないんですよね。睡眠時間にでも当てたほうが有意義じゃないかっていうレベルなんですよ。

例に挙げた本とか映画であれば別につまらなくなったり集中力無くなった時点で辞めたらいいのですが、人との会話とか仕事中にこういうモードに入ってしまうとものすごく困るんですよ。内容を覚えていなかったり、作業が進んでいなかったりする「無」の時間が出来てしまう。

こういうとき、自分の感覚的に言うと、変な方向に集中力を妨げている自分がいるような気がするんですよね。自分自身の感覚としてはその本とか映画に向き合っているつもりがあるのに、何かメタ視点の自分が別のことを考えている、みたいな。外側の自分みたいなやつがハンドルを変な方向に回している感じ。

これが特に起きやすいのは、何かしら心配事がある時な気がします。将来の不安とか漠然とした奴が最も厄介で、答えも出ない心配なので。人生の節目とか心配事が多い時ににこいつの出現率が高かったような気がします。

逆に、本当に心から集中していたり楽しんでいたりする時にはこいつがいない気がします。正確に言うといないわけではなくて、自分の行動とそいつのハンドルの方向が一致しているから違和感がなく、いない気がするみたいな。シンクロ率100%みたいな。

なので、集中力って多分飽きやすくてわがままで心配性なメタ視点の自分なんじゃないかなってちょっと思ったんですよ。だからってどうやって躾けるのかとかは思いついてないんですけど。

 

ビジネス新書は娯楽小説です

※ この記事は暴論です

 

 新書、読んでますか。新書のビジネス書、読んでますか。意味の分からない妄言から、どこかで見たような仕事術まで網羅するビジネス新書、読んでますか。

 そんな石石混交のビジネス新書ですが、内容が薄いこともありながら、よくあるのがエビデンス不足。証拠もないのに経験からものをいうタイプの新書です。そういった新書を読んでは批判的に考えを巡らす、そういった方もいらっしゃるかと思います。ですが、それはナンセンスなのです。ビジネス新書に対して内容を批判することはできない、これが本日お伝えしたいことなのです。

 

 批判はナンセンス?それはどういうことか。

 それは、「そもそもが存在しない」ものを書いている、という構造に起因します。言い方が極端ですが、証拠もないことをつらつら書いているのですから、これは存在しないようなものです。存在を証明できないので、言うなれば物語です。小説です。そう、ビジネス新書は小説、それも娯楽小説なんです。

 その証拠に、ビジネス新書は読者を楽しませるためのシステムもあります。それは「あとのお楽しみ」技法です。序盤でこれこれこういう手法があります、と色々例示してこの話は4章でふれます、というような予告が必ずあります。あるいはたまに文中で、こういう手法もあるのですがこれは後で紹介します、といったような勿体ぶった書き方をしている場合もあります。これらはバラエティ番組と同じ手法です。読者の気をひきつけ楽しませようという娯楽界隈で発生し作りこまれてきたロジックなのです。

 

 さて、ビジネス新書は娯楽小説だと言いました。ではなぜ娯楽小説であれば内容の批判を免れてしまうのか?

 なぜなら、小説に描かれる物語というものは筆者の中で既に完結しているものだからです。筆者の考える世界において登場人物が行動を起こし、その顛末を事実として記述したものにほかなりません。そこに記述されているのはその筆者の世界において実際に起きた厳然たる事実であり、正誤も何もないのです。

 したがって小説の内容にメスを入れて、これは合ってるこれは間違っている、と批評することはナンセンスなのです。娯楽小説であるビジネス新書についても同じことです。

 

 今度は逆に、内容を批判できる文章について考えてみましょう。そもそもどのような文章であれば内容を相手にとって批判することが可能であるのか。その条件は、何かしら現実世界について言及する内容が含まれる文章である、というものです。

 例えば、論文を基に書いているレポートなどに数値の誤りが認められれば、それは誤っていると言えるでしょう。筆者の論調の反証となる統計情報などが提示できるのであれば、筆者の論は誤っていると言えるでしょう。つまり、現実世界について述べている限り、現実世界の証拠を用いて、論を覆す事ができる可能性があります。

 ですが、ビジネス新書は娯楽小説です。その文章は一切現実世界について言及しておらず、すべてが筆者の空想上の物語なのです。空想の世界において物理法則すら現実世界と一緒であるとは言えないので、現実世界の事実をベースに何かを言うことはできません。したがって、ビジネス新書の中身に対する批判は意味を成さないのです。

 

 あなたはこれまでビジネス新書を読んで批判したことがあるのではないでしょうか。こんなことはあり得ない、そうは言うけど現実ではそんな理解のある上司なんていない、など批判的な意見を頭に浮かべた方もいらっしゃるでしょう。それは誤った考え方です。ビジネス新書とは娯楽小説であることを理解し、暖かく受け入れるのです。筆者の考えたバーチャルリアリティにおいて発生した空前絶後の快進撃、それをただ言葉にしたためてみたところビジネス新書という娯楽小説の枠に収まってしまった、それだけのことなのです。

 

つまり、何かを得るためにビジネス新書を読むのは時間の無駄です。それを伝えたかった。

英会話最大の敵、相槌について

日本に住んでいる状態で英語で会話をする際に、あるいは観光で他国において英語で会話をするときに、会話そのものに困ることは体感的にあまりない気がします。相手の人もネイティブでない話者には優しくしてくれるので……。

 

こちらがネイティブではない、特に普段英語を使わないであろう日本人だと認識している限り、発音が下手でも、発話スピードが遅くても、何回か聞き返しても、相手は寛容に受け入れてくれる場合が多いです。

 

そうやって相手が譲歩してくれる中で、こちらも最大限の知識で話そう!という姿勢を見せていれば会話自体は何とか成立します。

 

で、最近は相槌が最大の問題だと思ってるんです。会話ではなく。

 

日本語だと、相手が喋った後に「なるほど」とか、「そういうことだったんですね」とか、「了解です」とか、「そうなんですよね」とか、なにやら意味がありそうでなさそうな言葉も含めて何かしら応答があります。

 

これが英語になると出てこない。”OK", ”Yes", "I understand" とかそういう感じ。普段英語で生きてるわけじゃないので、当たり前なんだけど。もうちょっとレパートリーあっても良くない?と思いつつ、他に何にも出てこない。

 

でで、問題はこの相槌のレパートリーそのものじゃないんですよ。別にこの相槌というもの、会話の応答に相当するものは、別に技巧を凝らすべき場所でもないともわかってるんです。おそらく "OK" 一辺倒だとしても、相手からしたらなんか応答があった!というだけで安心できるはず。

 

しかし日本人の悲しい性として、こなれていない英語を喋ることが恥ずかしいみたいな気持ちが邪魔をしてしまう。そういうところがありますね?

 

そしてこれが、会議形態になるとさらに加速する。会議形態はそもそもが日本人的に発言しづらい場所なので(個人差があります)、相手側の説明や言い分を聞いたうえでみんな押し黙っちゃったりする。みんなして「おい誰かなんか言えよ」みたいになってる時がある。

 

これがリモート会議だとさらに加速してお通夜みたいになる。リモートだと目配せとかもないのでそれも加速要因だと思う。日本語のリモート会議ですらたまに妙な沈黙が流れるのですが、その倍くらいの不審な空気が漂ってる感じです。

 

そんなこんなで、英語で話すときは「とりあえずなんか言っとけ」みたいな精神があってもいいかもしれないと思います。

 

てことは、英会話最大の敵は相槌というよりも、本人の羞恥心や他人任せにしてしまう気持ちなのかもしれないですね。

 

ね。

意味のあることを考えるのってなかなか難しい

何か考えるようにしようと思って、

そのために何かを書く場所を用意したんだけど、

ここに書くような何かを考えるってなかなか難しい。

 

日中仕事してる間は仕事のことを考えているし、

それ以降はオフモードといえば聞こえがいいけど

堕落した感じの思考になってしまうので、

ほとんど何も考えていない。

 

夕飯のこととか、スマホの機種変更とかは考えるんだけど、

一般的に言って有意義なことを考えているかといわれると

特に何も考えていない。

 

何か調べものをしてブログにするとかならできるんだけど、

あれも意外と根気がいるし、そもそもブロガーじゃないし。

調べものって何か考えているようでそこまで考えてないし。

 

まぁそもそも今のところ書いているものが内容のないものなので

この悩み自体も説得力が一切ないんだけど。

 

というか意味のあることって何でしょうか?

素人が哲学みたいな考え方をすると

こういう中学生のポエムみたいになっちゃうから困る。

 

今日もほぼ日にお越しいただきありがとうございます。

ガーナの言葉で水はイズっていうらしい?

そんな話を小学生の時に聞きました。

 

小学校の時に、なんでだったか忘れましたがガーナの人が講演しに来ました。多分ユニセフとかなんかその辺なんだろうか。

 

因みに、正確に言うとガーナの人だったかどうかが思い出せません。ただ、その講演しに来た人を見た時に「チョコだな」と思った記憶があるので多分ガーナなんだと思います。

 

で、タイトルのことを言っていたのはなぜか強烈に覚えているんです。水とイズ、似てるね。こんなに離れてるのに意外なところで似ているって面白いですね、みたいな話だった記憶があります。で、ふと本当なのか調べたくなってちょっと調べてみました。暇なので。

まずガーナの言葉ってなんだよ、と思って調べてみます。

 

Wikipediaでガーナを調べてみると、

 公用語 : 英語

 

日本人があんまり興味ない項目は情報量が少ない場合があるので、こういう時は英語バージョンを見ましょう。

 

Ghana - Wkipedia

Recognised national languages

Asante Twi
Akuapem Twi
Bono Twi
Ahanta
Dagaare
Dagbani
Dangme
Ewe
Fante
Ga
Gonja
Kasem
Mampruli
Nzema
Wasa
Talensi
Bassare
Frafra
Kusaal
Hausa
Ghanaian Sign Language

 

多すぎる。

 

そして、さらにちょっと見てみたら都合のいいページがまたWikipediaにあった。

 

Languages of Ghana - Wikipedia

 

割愛しますが、さらに増えて79種類の言語が表形式でまとめられています。その中から上位にランクしていそうな言語でwaterを翻訳してみると ...

  • Akan : nsu *1
  • Ewe : tsi*2
  • Dagbani : kom*3
  • Dangme : 見つからん
  • Dagaare : koɔ *4
  • Ga : nu *5
  • Nzema : nzule *6
  • Kasem : bugə *7
  • Gonja : nchu *8

 

イズっぽい単語が一個もないんですけど ...。

 

強いて言えば nsu って単語の、 n の発音が実は i の発音だったりするとイズになりそうです。ということでAkanの子音発音を動画付きで教えてくれるページがたまたまあったので見てみたんですが、ちゃんと「ン」って発音していました。

 

したがって、この話は何かの夢で見たものを現実と勘違いしている線も出てきました。

以上です。