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ボケ防止

ビジネス新書は娯楽小説です

※ この記事は暴論です

 

 新書、読んでますか。新書のビジネス書、読んでますか。意味の分からない妄言から、どこかで見たような仕事術まで網羅するビジネス新書、読んでますか。

 そんな石石混交のビジネス新書ですが、内容が薄いこともありながら、よくあるのがエビデンス不足。証拠もないのに経験からものをいうタイプの新書です。そういった新書を読んでは批判的に考えを巡らす、そういった方もいらっしゃるかと思います。ですが、それはナンセンスなのです。ビジネス新書に対して内容を批判することはできない、これが本日お伝えしたいことなのです。

 

 批判はナンセンス?それはどういうことか。

 それは、「そもそもが存在しない」ものを書いている、という構造に起因します。言い方が極端ですが、証拠もないことをつらつら書いているのですから、これは存在しないようなものです。存在を証明できないので、言うなれば物語です。小説です。そう、ビジネス新書は小説、それも娯楽小説なんです。

 その証拠に、ビジネス新書は読者を楽しませるためのシステムもあります。それは「あとのお楽しみ」技法です。序盤でこれこれこういう手法があります、と色々例示してこの話は4章でふれます、というような予告が必ずあります。あるいはたまに文中で、こういう手法もあるのですがこれは後で紹介します、といったような勿体ぶった書き方をしている場合もあります。これらはバラエティ番組と同じ手法です。読者の気をひきつけ楽しませようという娯楽界隈で発生し作りこまれてきたロジックなのです。

 

 さて、ビジネス新書は娯楽小説だと言いました。ではなぜ娯楽小説であれば内容の批判を免れてしまうのか?

 なぜなら、小説に描かれる物語というものは筆者の中で既に完結しているものだからです。筆者の考える世界において登場人物が行動を起こし、その顛末を事実として記述したものにほかなりません。そこに記述されているのはその筆者の世界において実際に起きた厳然たる事実であり、正誤も何もないのです。

 したがって小説の内容にメスを入れて、これは合ってるこれは間違っている、と批評することはナンセンスなのです。娯楽小説であるビジネス新書についても同じことです。

 

 今度は逆に、内容を批判できる文章について考えてみましょう。そもそもどのような文章であれば内容を相手にとって批判することが可能であるのか。その条件は、何かしら現実世界について言及する内容が含まれる文章である、というものです。

 例えば、論文を基に書いているレポートなどに数値の誤りが認められれば、それは誤っていると言えるでしょう。筆者の論調の反証となる統計情報などが提示できるのであれば、筆者の論は誤っていると言えるでしょう。つまり、現実世界について述べている限り、現実世界の証拠を用いて、論を覆す事ができる可能性があります。

 ですが、ビジネス新書は娯楽小説です。その文章は一切現実世界について言及しておらず、すべてが筆者の空想上の物語なのです。空想の世界において物理法則すら現実世界と一緒であるとは言えないので、現実世界の事実をベースに何かを言うことはできません。したがって、ビジネス新書の中身に対する批判は意味を成さないのです。

 

 あなたはこれまでビジネス新書を読んで批判したことがあるのではないでしょうか。こんなことはあり得ない、そうは言うけど現実ではそんな理解のある上司なんていない、など批判的な意見を頭に浮かべた方もいらっしゃるでしょう。それは誤った考え方です。ビジネス新書とは娯楽小説であることを理解し、暖かく受け入れるのです。筆者の考えたバーチャルリアリティにおいて発生した空前絶後の快進撃、それをただ言葉にしたためてみたところビジネス新書という娯楽小説の枠に収まってしまった、それだけのことなのです。

 

つまり、何かを得るためにビジネス新書を読むのは時間の無駄です。それを伝えたかった。