ehnmsのブログ

ボケ防止

しばらく本を読んでいない

最後に真面目に本を読んだのがいつなのか、すぐには思い出せない。

中学生の時代には学校で朝の読書を習慣づけろ、と強制されていたのでいくらか本を読んだことを覚えている。この時代には小難しい本は読めなかったが、当時から知識的にカッコつけることを重んじていたので明治時代のいわゆる純文学とか言われるものや時代小説などを読んでいた。時代小説については、もともと三国志のゲームだとか戦国時代のゲームだとかが流行っていたので興味がなかったわけではなかったが、明治時代の小説は完全にカッコつけであった。夏目漱石の文章は現代的な文章でわりかし読みやすく、内容もすんなりと入ってきたのでよく覚えている。他の文豪たちについては、申し訳ないが頭の中から完全に削除されてしまっている。

高校時代に入ると、カッコつけがランクアップする。つまり、哲学書などの類を読もうとするステージに入った。この年代の悪い癖は、まだ失敗から学ぶことになれていないため、いきなり原本を読もうとするなどの無謀な行為をするところだ。私も他聞に漏れずにカントとかデカルトとかの本を読もうとしては時間を無駄にしていた。哲学に興味がなかったわけではなかったが、今思うとそれらの本に本来的な興味はなかったのではないかと思われる。結局読破していないので内容は知らないが、カントのWikipediaを読む限りは人間の認知に関わる話など心理学的な話にかなり踏み込んでいるようで、現段階での自分としてもそこにはあまり興味がないし。ちなみにこれらの本は現在父親の蔵書として保管されている。

大学に入り、苦手にも関わらず理系に進んで四苦八苦していく中でようやく勉強の仕方というものを理解する。この頃はもうあまり「本」を読まなくなっていた。読むとしても、勉強のための参考書や、興味のある分野の専門書などでカッコつけからは遠ざかっていった。遠ざかると同時に読書とも疎遠になったのかもしれない。そこからは活字を相手にするのは勉強するときだけになったように思う。この頃、自分の蔵書には漫画が増えていった。自分に素直になったという捉え方をしている。

社会に出て、仕事をしているうちに悩み始める。悩みの解決を探るために、また本を探そうとするようになった。自由に自分を貫いて生きるために参考にできそうなものがないかなど探してみた。そこそこの本を借りたり買ったりしたが、最後まで読破したものは恐らく一冊も存在しない。本を読むこと自体は目的ではなく、手段になったからではないかと思う。大体の本は役に立ちそうになかった。

振り返ってみると、真面目に本を読んだのは高校時代が最後なのかもしれない。ちなみに、漫画を含めていいのなら自分が最後に読んだ本はチェーンソーマン9巻である。

(何これ)